2016年12月27日火曜日

不具合なのね

長年使ってきたGalaxy SⅢからXperia XZ SO-01Jに機種変した。
Android6の時代にAndroid3の機種は限界だった。文字入力も画像表示も全てがもっさり。頻繁にフリーズしてイライラも限界だったため、思い切って機種変に踏み切った。


スマホ本体はDoCoMoオンラインショップで購入。事務手数料の5000円分が無料になるし、受け取りを近所のDoCoMoショップに指定すれば、機種変に伴う作業も手助けしてくれる。ちょうど冬期機種変キャンペーンをやっていたため、更に5000円引きになって嬉しい限り。

さすが発売されたばかりの機種だけあって、操作もサクサクでバッテリーも長持ち。起動時の指紋認証もボタン一つで一瞬だし、画面も大きくて綺麗で非常に見やすい。これはいいものだ~と喜んでいた矢先、Wi-Fi利用中に強制切断を繰り返すトラブル発生。調べてみると同様の不具合報告が多く、ソニーも原因を調査中とのこと。まじかー!

 明日は仕事納め。今年の仕事もラスト一日!
上司が割烹弁当を御馳走してくれるから、私も事務室分の味噌汁作るよー

なお、冬の恒例、自宅で醸している濁酒も順調。ブクブクと醗酵して素敵な香りを放っている。はよ絞って呑みたい。


2016年12月26日月曜日

あれー?

数日前のこと。

以前の日記に書いた婚活サイトで知り合った女性から、一ヶ月ぶりに連絡が来た。長らく連絡が途絶えていた理由と謝罪が、とても丁寧に長文で綴られていた。また、もともとメールやライン交換が苦手で、それが原因で過去の婚活もうまくいかず反省しているとも書かれていた。

私はそのことで特に怒っていないし、唐突に連絡が途絶えるのはネット婚活でよくあること。だから、彼女とも連絡が途切れたことで、今回も縁がなかったのかなと淡々と現実を受け止めていた。それだけに、一ヶ月ぶりに謝罪連絡が来て非常に驚いたし、過去のネット婚活でもこのような事例は未経験で戸惑ってしまった。ただ、とても律儀で丁寧な性格の人だなと。

彼女はデートで行った先の神社仏閣全てで丁寧に参拝し、必ずお賽銭も入れていた人だった。連れて行った巨大樹にも丁寧に挨拶していて驚いたことがある。彼女に「信心深いんですね」と言ったら、家が工場故に挨拶だけは叩き込まれこと、工場に飾られた神棚への参拝も日常だったと教えてくれた。律儀な性格も、そんな環境で育った故だろう。

さて、たった数ヶ月のネット婚活で疲れ(と言うか飽きたw)、しばらく婚活はいいやと思っていたので、彼女から連絡が来てしばし考え込んでしまった。もちろん嬉しいことは嬉しいのだけれど。とりあえず、連絡が途切れたことは気にしなくてもいい的な返信を送ったら、やたら感激されてなんと言うか逆に恐縮・・・。

一度は完全に途絶えた関係だけど、こうして接点が復活したのも何かの縁だろう。わりと淡白な関係の多いネット婚活で、こうした復活劇は非常に珍しいと思う。私から嫌う理由は何も無いし、彼女が私にまだ関心があるのであればそれに応えようと思う。無くなればそこで終わり。ただそれだけのこと。

とりあえず来年また会う約束をして、私のネット婚活は「THE END」から「TO BE CONTINUE」へと変わったのであった。

2016年12月24日土曜日

クリぼっち

今年のクリスマスは少し変。
今までは「恋人と過ごす日」とか「家族で仲良く」と、多人数を主体としたクリスマスが主流であった。ところが今年は「クリぼっち」なる言葉が生まれ、クリスマス商品も「クリぼっち」向けの商戦が盛んだと言う。ちなみに「クリぼっち」とは、クリスマス+一人ぼっちの略語である。面白い言葉を造るものだ(笑)

私はもともと「クリスマスは無理に祝わんでいい」と考えている。たぶん、JWで受けた教育が影響しているのだろうけど、JWを隠居した今でもその考えに変化がない。キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝う、日本の商業主義的なクリスマスに否定的なのだろう。ただ、クリスマスの雰囲気は嫌いじゃない。イルミネーションもクリスマスソングも素敵だと思う。でも複雑。

いつも東京で飲むオフ会仲間の中に、クリスマスは養護施設にサンタ姿で慰問したり、施設に寄付を仕送りしたり、地域の若者を集めた交流団体を主催してる友人たちがいる。元JWでも、そのような慈善活動に積極参加する人って意外と少ない。それだけに新鮮だったと言うか、「私も人のためになにかしなきゃなー」と考えるようになった。

施設や団体への慰問・寄付・ボランティア参加も考えた。しかし、私の中で真っ先に浮かんだのが、カンボジアで出会った「かものはしプロジェクト」の人々。貧困層の子供たちや人身売買で売られた女性を救出し、教育と技術を与えて大人にするプロジェクト。そこでは日本人の若いスタッフたちと、目をキラキラさせて教育を受ける子供たちの姿があった。JW時代に「奉仕」とか「ボランティア」と言う言葉を、安易に使っていた自分が恥ずかしくなる光景がそこにはあった。

最初は3人の大学生が数万円の資金で始めた活動も、今では200人以上のスタッフが1億近い資金で活動する団体へと成長している。カンボジアだけでなくインドにも支援の輪を広め、子供や若者の教育以外に、警察官を育成する活動にも力を入れているそうだ。

・・・そんな訳で、私も今月から「かものはしプロジェクト」のサポーター会員になり、寄付の定額送金を始めた。日本でクリぼっちの私から、カンボジアやインドの子どたちへの細やかな、そして非常に微々たるクリスマスプレゼント。

さて、来月からは少し忙しくなる。肉離れで大好きだった登山を止めてから7~8年。すっかり落ちてしまった体力を戻すべく、来月からジム通いを始めることにした。まずは週二回の教室に半年通うことで会員資格を得られ、以後は自由にジムの機器を使用することが可能になる。市営のジムなので料金も良心的、場所も自宅から徒歩数分でめちゃ便利。体を絞ってまた立山縦走登山に行きたいものだ・・・。

2016年12月20日火曜日

日本人と休暇

今年の国際比較調査によると、日本人の有給休暇取得率が世界で最下位だったと言う。年間の有給休暇付与日数30日、取得率100%のスペインと比較すると雲泥の差である。自身の有休支給日数を知らないと答えた率も、日本人が世界で圧倒的に多い半数越えだったと言う。

日本人って本当に真面目な人種だよね。仕事もそうだし宗教も。だから根を詰めすぎて心を病む人が減らないのだろう。自分のことに精一杯で、周囲を気遣う余裕が減るのもその影響。それが日本人の信仰心やボランティアへの関心度調査に、低い数字として反映されているのだと思う。

海外を旅していると、日本人と欧米人旅行者の違いに気付かされることが多い。日本人は早朝からツアーバスに乗って観光地へと出かけ、夜遅くにヘトヘトになってホテルに戻って来る。しかし欧米人は、朝からのんびりラウンジで食事を楽しみ、日中は自転車でホテル周辺を散策したり、ビーチやプールサイドで肌を焼いたりしている。とにかく時間の流れがスローなのだ。

その差の背景には、限られた休暇日数で可能な限り観光したい日本人と、あり余る休暇日数で旅を満喫したい欧米人の職場環境に違いがある。人の人生が限られた日数である以上、どちらが有意義な過ごし方なのかな?と思うことが多々ある。

「退職したら旅行や趣味を楽しみたい」と言っていた仕事人間の同僚たちが、定年退職してすぐ亡くなった事例を数多く見てきて考えることが増えた。全てを犠牲にして「楽園が来てから」と言っていた信者が、老いて亡くなるのも似たようなものだと思う。報われない人生と言うものは、傍から見ていても切なく虚しいものに感じる。

そんな訳で、特に意識してここ数年は有給休暇の完全消化に努めている。今年も残す休暇はあと3日(毎年繰り越し分の20日は除く)。まぁ、今年はよく頑張って取得した方だと思う。連日のように残業・休日出勤している友人の話を聞くと、ほんと申し訳ない気持ちになるけど。。。

色々な人生があるけれど、みんな等しく幸せになって欲しいと願う聖人モードのくまであった。なお、クリスマスは悪魔モードになるとかならないとか(笑)

2016年12月19日月曜日

買ってしまった

以前から欲しかったトヨトミのランタン型レインボーストーブ。
今月はボーナスも出たことだし、自分へのご褒美にと言い訳して購入。
まぁ、ボーナスで買うような値段のものでも無いんだけどね(笑)
 
 
このストーブは、アウトドアでも使えるような機能とデザインが特徴。
特に「レインボー」の商品名にあるように、炎が特殊加工のガラスに反射して
虹色に見える不思議なストーブ。明るさも40W電球相当あるので停電にも便利。
最近はこのストーブの灯りをメインにして、怪しい夜の時間を楽しんでいる。
 
さて、今年も残り二週間。そろそろ自分の人生も折り返し地点だと言うことで、
色々と生き方を変えてみようと行動してみた。その報告はまた後日。
あ、婚活じゃないですよ。あしからず(笑)

2016年12月14日水曜日

大きいねぇ

職場の畑で獲れた聖護院カブ。
雪降る前にと収穫したら意外と大きかった。
大きいものは全て授業に、小さめのものは無料配布。
私の口には一つも入らなかったと言う…



こちらは同僚から貰った晩白柚(ばんぺいゆ)。
長崎の名産で、これ1つで1600円くらいするとか。
甘くてサッパリしたグレープフルーツみたいな味。
美味しいことは美味しいけど値段がね…
食べる部分も少ないし、自分では買わないだろうなぁ(^-^;


2016年12月12日月曜日

トンネルを抜けるとそこは…

昨夜のカプセルホテルでは、カプセル満室のため大部屋で雑魚寝となった。テニスコートくらいの広い休養室の床で寝るのだが、意外に開放的で悪くない…などと感じたのは最初だけ。

終電を過ぎた時間になるころ、終電を逃した酔っ払いが次々とやってくる。広い休養室もどんどん埋まっていき、最終的には部屋が埋め尽くされるほどの人だった。その様は奴隷船と言うべきか、最近のニュースで見たフィリピン刑務所の内部写真にソックリだろうと(笑)

室内は夜通しテレビを視る人、大いびきで寝る人、ガヤガヤと騒いでいる人と騒々しく、当然ながら寝れるはずもなく…。ほぼ一睡もできぬまま夜明けを迎え、ふらふらのまま始発の新幹線で新潟へ戻ったのであった。いつもみたいに築地で朝飯とか無理であった。今になって考えてみれば、なにも上野に固執せず、別の駅周辺で宿を探せば良かった。

快晴の関東と違い、県境の長いトンネルを抜けると新潟は白銀の世界だった。同じ日本でも別世界だねぇ…


2016年12月10日土曜日

東京オフ会

金曜日に仕事を早退して上京。いつものメンバーでオフ会してきた。
最近はメンバーの誰かが誕生月になると、誕生日会としてワイワイ飲んでいる。場所は毎回変わり、今回は錦糸町での飲み会であった。

 まずは0次回として、かの有名な亀戸餃子に行ってきた。この店には餃子と飲み物しかなく、着席するなり餃子が勝手に提供される。一皿250円の小振りな餃子がワンコ蕎麦形式で出され、みんな4~6皿食べている。私は次があるので二皿でやめたけど。




それから錦糸町で飲み会。みんな見知った顔で、深夜二時まで楽しく飲み明かした。


翌日は初対面の二人(元長老)と合流し、日暮里~上野間を散策。谷中銀座や根津神社と歩き、上野の飲み屋街で梯子酒。串カツ屋やら沖縄料理屋やら、美味しく楽しい時間を過ごせた。そして気付けば最終の新幹線を乗り過ごし、今日は上野でまさかの一泊(笑)







よく泊まる不忍池近くのカプセルホテルへ行ったら、まさかの満室でビックリ。大部屋の休憩室で雑魚寝となった。この宿には何度か泊まっているけど、満室と言われたのは初めてだ。そんな日もあるんだねぇ…

2016年12月8日木曜日

婚活の行方

かなり前に周囲の知人たちに触発され、ネット婚活してみたと日記に書いた。大手の有料婚活サイトに登録し、少しだけ真剣に婚活してみた顛末を少し。。。


私が登録したサイトは、元Jの友人に勧められた「ブライダルネット」と言う大手の有料婚活サイトだ。ここは会員数26万人、登録にあたっての写真や証明書審査がしっかりしていて、登録すると担当者が色々なアドバイスをしてくれる。登録会員も真面目な方が多く、とても熱心に婚活しているように感じられる。


しかし、登録会員の94%が大都市圏に集中し、新潟のような地方都市の登録者は全体の0.5%に満たない。例えば新潟県の女性登録者30~40歳(他条件なし)で検索した場合、わずか8人しかヒットしない。しかも、そのうち5人が1週間以上もログイン無し。つまり、実質3人しか活動していないことになる。ほぼ選択肢ゼロの男性会員に対し、逆に女性会員の場合は男性からのアプローチが殺到。それはそれで大変だと聞いた。


私の場合も、有料登録してから「女性会員いなーい!失敗した~!」と後悔した。それでも運が良かったのか、登録1週間にしてAさんと言う33歳の女性からアプローチがあり、1週間ほどのメール交換を経て実際に会うことができた。彼女は、菅野美穂によく似た美人さんであった。性格も良くて趣味も合う。ただ一つ、そんな女性が半年以上もブライダルネットで婚活していることが引っ掛かった。なんで?と。


彼女とはラインで色々話したし5回ほどデートもした。しかし、彼女はシフト制の仕事で休みが不定期なうえ、その不定期な休日には副業の鍼灸・マッサージの仕事をしているため、なかなか会うことができない。過去のデートも私が休暇を取ってやっと会えた状態だ。あと、メールもラインもビックリするほど超絶スロー&マイペース。なるほど、これが原因なのかなと思った。


彼女は将来的に鍼灸・マッサージの仕事を開業すべく、今は実家暮らしをしながら二足の草鞋で資金を貯めている状態。そんな努力をしている人を見ると「夢に向けて頑張れ!」と応援したくなる半面、今は婚活より仕事の方を優先すべきなのでは?とも思ってしまう。彼女の年齢と外見と性格なら、夢をある程度実現させてから婚活しても遅くは無いだろうし。


ちなみに、私がブライダルネットで出会えたのは彼女のみ。九州の女性から来た(なぜ?)アプローチを断った以外、誰ともメッセージ交換すらできなかったし、二ヶ月の有料期間で新潟県に新会員が入ってくることも無かった。これで地域同一会費は不平等だと思う。過去にもYahoo!やゼクシィの婚活サイトに登録したことがあるけど、どこも地方の男性会員が厳しいのは大差無い。ネット婚活って数ある婚活の中でもハードルの高い分野だと思う。


さて、これからどうしようかなと言うのが今の気持ち。Aさんとの関係も既に「難しいかな」と思っている・・・と言うか既に面倒臭くなって、かれこれ2週間以上も連絡取っていない。有料会員も早々に解除してしまった。かといって新たにネット婚活を始める元気も無いし、そもそも数名の候補者と同時進行してなんぼ、数打ちゃ当たる式のネット婚活は自分に不向きだと思える。元々そんなに器用じゃないし。


考えてみれば、若い頃から結婚願望が薄かった自分。現役時代は「姉妹と結婚したらJW抜けられなくなる」と考えていたし、JW引退数年間も「結婚とか後回し!今はやりたいことが無数にあるから」と考えていた。しかし、年齢と共に結婚を考えるようになるのは、生物的な自然現象?DNA?なのかなぁ。ただ、そんな変化を遂げるまでに私は時間をかけ過ぎてしまった。「若さの盛りを過ぎて」からではダメなんだよね。若さの勢いも大切にしないと・・・。


まぁ、あの世界で心を壊さなかった代償が結婚だったと思えば、これも仕方ないのかなとも考えている。とりあえず、数え切れぬほどの有料婚活サイトを網羅し、私に婚活サイトを勧めてくれた友人。数多のサイトでモテモテだった彼(元JW)の凄さが改めてよ~く理解できた。それが幸せだったかどうかは別の話しだけどね(笑)

2016年12月7日水曜日

今年も無事に畑終い

職場の畑は、今年も豊作のうちに終えることができた。自然に左右されるとはいえ、職場の資金で作物を栽培し、生徒が授業の一貫として育てている以上、こちらも極力失敗することができない。だからシーズンオフはいつも安堵。

今年は安納芋が大人気で早々に完売し、ジャガイモも残り二箱。来週収穫予定のカブも順調で、その前に間引きした小さいカブと、一箱分のジャガイモを無料で放出。あっという間に完売した。よかったよかった。


2016年12月6日火曜日

ドーン!ガコーン!!ドゴーン!!!

静かな平日の住宅街に響き渡る衝撃音…

月曜日は一日休暇を取っていたため、のんびり休日を満喫する予定であった。その前に洗濯物だけでも洗っておこうとスイッチポン。…そして脱水中に事件は起きた。

すすぎが終わって脱水が始まると、バキッ!と大きな音が聞こえてきた。なにか折れたかな?などと考えていたら、洗濯機からドゴーン!ガゴーン!と衝撃音が聞こえ、慌てて見に行くと衝撃で洗濯機が飛び跳ねていた( ; ゜Д゜)

あの世界を辞めるときに買った洗濯機で、約13年近く苦楽をともにしてきた家電。それが遂に逝ってしまった…。

ただ、ここからが大変だった。弟が単身赴任時代に使っていた洗濯機を実家へ取りに行き、それと壊れた洗濯機を入れ換え。重い洗濯機を一人で入れ換えるのは大変だった。更に、郵便局へリサイクル券を買いに行き、隣街の市指定リサイクルプラントへ壊れた洗濯機を運搬。これで貴重な休日は終わってしまった。あ~あ…


2016年12月4日日曜日

私の職場で高校時代の恩師が、地元の郷土史を生徒に教える特別講師をやっている。その授業の一つとして、地元の藩主だった井伊家のことも教えている。恩師は井伊家の家老をやっていた家系であり、井伊神社の管理委員長さんでもある。

今回の授業にて、井伊家に伝わる太刀を二振り持ってこられたので、授業後に私も触らせて頂いた。徳川四天王の一人、井伊の赤鬼と呼ばれた井伊直政の愛刀であり、本来であれば国宝級の立派な太刀だ。しかし、刀が国宝指定されると、預け先の史料館から気軽に借りられないため、あええて国宝指定を断っているそうな。

来年のNHK大河ドラマ「井伊直虎」に関係した企画展で展示するため、来月には東京へ行くことになっている貴重な太刀。それを気軽に触らせて貰えて感謝感激。ただ、実際に人を斬った記録のある刀と言うものは、刃先を見てるとなんとも言えない無気味さを感じる。

さて、週末は再び上京してオフ会。久しぶりに多くの初対面組と会えるので楽しみ。なかには辞めたてホヤホヤな二十歳の若者もいるそうで、昨今のJW事情を色々聞いてみたいものだ。

戦国時代の刀は意外と軽く実戦向き。女性でも軽く持てる。

刀の外箱。ステッカーは史料館の整理番号。

外箱の金具。井伊家の家紋、橘の紋様。ちとピンぼけ。


2016年11月28日月曜日

甥っ子と海釣り

週末に帰省していた弟家族。甥っ子の強い希望で快晴の休日に海釣りへ行ってきた。
釣果から言えば、25cmクラスの大型ハゼ二匹と片口鰯数匹、ウツボが二匹。この時期にしては大漁だし、全て天婦羅にして食べたら美味であった。



ただ、この日はフグの大群が来ていて、針を投入するたびに入れ食い状態。大いに苦労させられた。毒さえ無ければ良い魚なのに…


釣りは楽しかったものの、はしゃぎ回る甥っ子が海に落ちないかと冷や冷や。楽しかったけど気疲れした休日だった(-_-;)

2016年11月20日日曜日

福島への旅(後)

湯野上温泉で宿泊した「いなりや」さんの夕食。
これは最初の一部で、ここから煮物や大量の天ぷら、蕎麦などが続々と。
内容は山菜と野菜と魚のみで肉類無し。一カ月に1~2名しか完食できないと宿の主人が言うように、物凄い量だった。これで1泊2食付き7800円は格安だと思う。素泊まりで同じくらいの東京のビジホより断然マシ。もちろん私も夕食は食べきれなかった・・・

2日目は快晴。秋の湯野上温泉駅も素敵だった。

湯野上温泉駅の内部。囲炉裏が焚かれて良い雰囲気だった。漫画やお茶のサービスもいい。

やはり日本家屋は日本の四季によく映える。

会津若松駅の磐越西線ホーム。ここが磐越線の始発であり終点。休日はSⅬが走っている。

磐越線から見た景色。特に県境超えの景色は素晴らしい。

途中にはこんな可愛らしい駅も。オコジョの形をした津川駅待合室。

単線のため、対向列車の通過待ちで10分停車。ローカル線はまったりしていていい。


今回は乗り鉄の旅をしてみたけど、いつもの車やバイクの旅と違った景色が見えて新鮮だった。ただ、電車の旅は行動範囲が限られるし、旅の日程も電車の時刻に束縛されるから自分には合わないかも。

今週も長野へ林檎の買い出しに行ったり、鮭を数匹買って塩引き鮭を作ったりと色々忙しい。毎年のことだけど、秋はあっという間に過ぎていく。。。

2016年11月17日木曜日

福島へ現実逃避の旅 (前)

溜まっていた休日出勤の代休を使い、福島の湯野上温泉へやってきた。かれこれ三年連続で訪れているけど、何故か決まってこの時期に来てしまう。

湯野上温泉は会津若松から更に山奥にあり、大きな宿から民宿までほとんどの宿が源泉掛け流しの温泉だ。団体観光客や、海外のツアー客が隣の芦の牧温泉へ行くのに対し、こちらは日本の個人客がほとんどの静かな場所だ。

車で来れば二時間半の場所だけど、今回はあえてローカル線を乗り継いで五時間。途中の紅葉を楽しみながらの旅だった。たまには電車の旅もいいもんだ。

今日は生憎の天気だったけど、明日は快晴らしいから紅葉も綺麗なことだろう。今夜は体がふやけるまで温泉に入り、ゆっくり日頃の疲れを癒そう…

会津若松行きの磐越西線車輌。うーん、渋い(笑)

このタイブの窓を見たのは何年ぶりだろう?懐かしい。

茅葺き屋根の湯野上温泉駅。ちゃんと有人駅ですよ。

宿に向かう道中、渓谷の紅葉は最後の美しさを見せていた。

宿は

2016年11月16日水曜日

予防注射

今年は例年より一カ月も早くインフルエンザの流行が始まり、どこの病院も予防接種の予約でいっぱい。予約しても平気で1時間以上待たされるため、今年の予防注射は諦めていた。


しかし、地域住民が口を揃えて「ヤブ医者」と言う職場近くの外科医院なら・・・と思い、昼休み中に職場を抜けて行ってみた。そうしたら予想通りガラガラだったものの、予約無し・待ち時間ゼロで予防接種を受けることができた。


ただ、料金は4000円。
近隣病院の相場が3500円前後だから明らかに割高!


ここ数年、超極細針を使用した無痛注射での予防接種がほとんどだったから、久しぶりに昔ながらの注射器で予防接種を受けた。「あ~。こりゃ小さい子が泣く痛さだわ」などと考えながら。

2016年11月15日火曜日

休み!

今年は例年より1カ月以上も早くインフルエンザが大流行。
まだ予防接種すら受けていないのに、隣の小学校では既に学級閉鎖になったという。
流行が始まると病院は大混雑。待ち時間も長いので、行くだけで病気を貰って来そう。
毎年欠かさず予防接種は受けてきたけど、今年はどうしようかな・・・


さて。


やっと仕事が多忙時期を脱した。鬼のような数週間だった。
おかげで冬に備えた仕事もやれることは全て終えた。
バイクも整備して冬眠させたし、車の夏タイヤもスタッドレスに交換した。
あとは雪を待つだけ。それまではまったり。


そんな訳で、久しぶりに連休が取れた。と言うか取った。
休日出勤の振り替え分も残っていたし、有給休暇も相当残ってる。
いつ休むの?今でしょ!ってことで、週末に2日続きで休むことにした。
今週末は学校行事も無いし、大きな仕事も無い。相方の爺さんも大丈夫なはず(-_-;)


出遅れたけど紅葉狩りに行きたいし、そろそろ寂れた温泉地巡りもしたい。
山奥の静かな、程よく寂れた源泉かけ流しの宿を探して行って来よう。
そしてちょっと休もう・・・

2016年11月11日金曜日

やがて訪れる日のために…

ここ数年、親を亡くした元JWの友人・知人の話を聞くことが増えた。いずれも残された現役親と葬儀の方法をめぐって衝突したり、葬儀について口を挟んできた長老との衝突、現役親と親族との板挟みになった苦悩など、同じ元JWとして切なくなる話が多過ぎる。

先日聞いた話も、若くしてガンで亡くなった非信者の父親を、現役家族が葬儀無し・遺骨の処理も火葬場に一任して受け取り拒否して、それを理解できない親族と衝突した話を聞いた。元JWの友人もJW流の葬儀に「遺骨くらいは埋葬してあげたかった」と苦しんでいて、宗教の残酷な一面を見た気がした。

私も死後は無であると考えるし、死ねば人はみな塵にかえると言う聖書の教えにも賛成だ。ビジネス化した仏式の葬儀や豪華な墓も無意味だと思う。しかしだからと言って、日本のJWみたいな墓参りNG、遺骨も厄介物扱いする風潮も馬鹿らしく思う。

キリストの死後、弟子たちがその亡骸を丁重に処置して墓に安置したり、キリストの死を嘆き悲しんだ人々のことを聖書は記している。もしこれが日本のJWであるなら、磔にされたキリストの亡骸処理を当局に任せ、墓に埋葬することすらしなかっただろう。埋葬したとしても、墓を訪れ花を手向けようものなら何を言われるか…

家族を亡くした遺族に必要な慰めや励ましを与えず、葬儀の手順や服装などに口出しする長老たちも大馬鹿者だ。それによって余計な負担や悩みを遺族に加え、非信者の親族たちの怒りを増幅させる。本当に情けない話だ。

家族の死くらい自由に見送らせればいいじゃないか。服装だって喪服の何が悪いのか。墓参りの何が悪いのか。それを見て他の信者が躓くのであれば、そんな脆すぎる信仰を持った信者の責任だ。逆にそんなつまらぬことで躓くな!と叱るべきではないのか。そんな脆い信仰で、自分達の信じるハルマゲドンを通過できると思っているのか。

親の死は順番だ。誰もが遅かれ早かれ経験することであり、決して他人事ではない。もしかしたら親と順番が逆になる可能性もあるけど、いずれ必ず訪れるその日のために、あれこれシミュレーションしておく必要性を痛感している…

2016年11月10日木曜日

職人

印刷室の裁断機が切れなくなり交換。そこまでは私でもできるけど、問題は外した刃の研ぎ。長さ40cmほどの重たい刃物で、去年までは裁断機を納入した学校用品の業者に依頼していた。しかも、研いでもらうだけで5000円近くもかかっていた。

今年は町工場の研屋さんに交渉。時間かかっても良いからとお願いし、1000円の破格値で引き受けてくれた。いつも調理室の包丁や和裁室の裁縫ハサミを、1つ300~500円の良心的な価格で研いでくれる町工場。いつも本当に助かっています。そして毎度無理言ってごめんなさい。


2016年11月9日水曜日

ようやく…

10月中旬から鬼のように多忙だった日々も、ようやく終わりが見えてきた。職場と知人宅の冬囲いがほぼ終わり、職場の文化祭も終わったことで一気に肩の荷が降りた。

職場の畑で育てた安納芋やジャガイモも、文化祭で焼き芋300個完売、ジャガイモ約60キロのフライドポテトも完売。安納芋を使ったケーキ、ジャガイモを入れた豚汁も好評で在庫がほとんど無くなった。ありがたいことだ。

今回の文化祭、一日目の鼓童無料公演には700人近い観客が集まり、周辺市町村のゆるキャラ数体も集結して大盛況であった。鼓童の公演を観るのは二度目だけど、何度観ても心に響くものがある。太鼓の音が日本人のDNAに訴えかけてくるのだろうか。



文化祭翌日の日曜は久しぶりにフリーの休日を満喫。以前から行きたかった宮内ショウガカレー研究所へ行ってきた。店内は自分の好きな昭和レトロの内装で、カレーも凄くスパイシーで美味しかった。優しい辛さでショウガの香りもしないのに、食べると体がポカポカして汗も噴き出す不思議なカレー。一杯500円の価格はとても良心的であった。



さて、今週末の土日は泊まりで出張。見頃を迎えている紅葉を見に行く暇もない。文化祭の代休も取ってないし、ほんと静かな温泉地へ旅に出たい今日この頃

2016年11月3日木曜日

雑記

前回の日記から野菜と魚中心の生活にした結果、精密検査で受けた血液検査の数値は全て正常値に。先生からも「うん、大丈夫だね」と言って頂いた。バランスを考えた食事って大切なんだなと実感する出来事であった。


例年なら3~4日で終わる職場の冬囲いも、今年は2週間かかってようやく終了。同僚の御老体に冬囲いを教えつつ、ほぼ全ての樹木を一人で剪定&枝降ろし&冬囲いしたのだから当然か。体力的にも厳し過ぎる毎日だった・・・


あとは紅葉が終わった後の樹木の冬囲いと、除雪機械の整備点検、毎年頼まれている元上司宅の冬囲いで終了。結局、今年は秋のハゼ釣りに行くことも出来なかったし、大好きな海外旅行も全く行けないまま終わりそう。有給休暇もほとんど消化できてない。


今週末は文化祭で出勤。その代休も仕事で出勤。次の週末も出張。その次の週末も親と長野・・・と、11月は金~日曜が全滅状態。12月はゆっくり温泉にでも行きたいなぁ(願望)


しかし、今年は平日快晴、休日悪天候の日が多過ぎる。天気悪いと何も出来んよ。
晴れても予定いっぱいで何もできんけどさ!(´;ω;`)ウッ


・・・などと愚痴るものの、色々なことにチャレンジし、自分の店を開き、夢に向けて頑張っている友人の近況をネットで見ると、自分も頑張らなきゃって力が湧いてくる。住んでる場所は遠くても、心はほっこり温かくなる。ありがとう。いつも勝手に励まされてます(笑)

2016年10月26日水曜日

人間ドックの結果

…が届いた。

結果から言うと、心配していたピロリ菌検査は陰性、前立腺癌の腫瘍マーカーも正常で安堵したけど、胃カメラ検査にて胃粘膜内腫瘍が見つかって経過観察の診断。ほとんど良性だから心配ないそうだけど、念のため一年後に再び胃カメラ飲んでねと。もう二度と胃カメラなんてやりたくないと思ったけど、そういう訳にもいかないようだ…

あとは肝臓の数値が相変わらずよろしくない。そろそろ本気で食生活を改め、体を労って生きねばいけないって思った。もう若い頃と同じ気分で飲食するのをやめ、栄養バランスを考えた食事をしないと。もともと短かった睡眠時間も改善せねば・・・

しかし、腫瘍なんて病名がつくとビックリする。胃カメラで経過観察となった胃粘膜内腫瘍の場合、ほとんどは良性の腫瘍らしい。しかし、稀に悪性の場合もあるので不安と言えば不安。内科の先生は「胃のおできだから気にすることないよ」と笑っていたけど。どちらにしても、厄年ってことで色々と体を検査してみて良かったと思っている。

2016年10月24日月曜日

あれから12年。ついでに+1年。そして鬼。

中越地震から12年。あっという間の12年。
当時は29歳、実家を出て1年目の出来事だった。


地震時はスーパーにいて、天井から色々なものが落ちてくるし、非常ベルが鳴って停電になるし、あちこちから聞こえる悲鳴に「建物から出ないと死ぬ」と、とにかく必死で非常口に走った。そして築年数の古い実家のことを思い出し、急いで実家まで車を走らせた。自分の目で確認するまで、「家が潰れていたらどうしよう」という不安で押し潰されそうだった。


幸いなことに実家は無事だった。しかし、食器棚や本棚は倒れ、実家の猫は恐怖で腰を抜かして動けずにいたっけ。余震のたびにゴゴゴゴゴと聞こえる地鳴り、周囲の家々が軋む音、どこからか聞こえる悲鳴・・・あの記憶だけは消えることがないだろう。街全体が停電し、とても綺麗な星空だったことは鮮明に覚えている。


そして12年に+1年すると、自分が脱JWした年数になる。ここから逃げたい、ここから出ないと壊れてしまうと必死だった5年間。頑張って貯金し、少しずつ家電を買い揃え、転勤を理由に強引に引っ越して自然消滅を謀った13年前。


引っ越し後も、1年ほどは地元会衆の長老による訪問や電話が続き、旧会衆の知人たちから手紙やメールも頻繁に届いた。それを徹底無視してやっと周囲が静かになった時、やっと私はあの世界から自由になれた。今でも当時の決断を後悔していない。


ただ、あの世界で築いた多くの友人・知人を失ったことは寂しく思うし、可愛い姉妹たちも多かったから勿体無かったなと思うことも・・・あった。もう今となっては全て過去の話し。


必死に駆け抜けた13年。
気付けば今年で41歳。あっという間だったなぁ。




今年は誰に聞いても大雪予想。
「〇〇の年は大雪」的な言い伝えが今年は全て当て嵌まる。それだけに、今年の雪囲いは厳重にするつもりだが、同僚が高齢で未経験者なのは本当にキツイ。彼が体力・技術的にできないことが全て私の負担となる。それを全く申し訳なく思っていない、仕事も覚えない。それでいて偏った公務員批判と民間賛美、過去の役職自慢だけは饒舌。そんな偏屈老人を相手に、キレることなく穏やかに接し続けている自分。こういう時だけ、JW時代に培った忍耐強さに心から感謝している。


・・・でもね。


過去に4人の非常勤嘱託員と働いたけど、職員調書で「技術職として年齢・体力・経験共に不適格。来年度も同僚として共に働くことは難しい」と報告させたのは彼が初めて。仏のくまさん(?)と言われた私でも、こんな辛辣な評価するんだなと苦笑い。今週予定されてる上司との人事ヒアリングでも、言いたいことは遠慮なく言わせてもらう。昔の自分には考えられない変化だ。

2016年10月20日木曜日

通夜へ

会場のセレモニーホールは実家の近所だった。通夜の開始時刻が18時からだったため、職場で喪服に着替えて会場に直行。喪服姿の私に、職場の生徒もビックリしていた(笑)


通夜そのものは淡々としていた。死の直前まで元気に酒を飲み、急性心筋梗塞で呆気なくこの世を去ってしまったから、誰もが突然の死に驚き、なんとか現実を受け止めようとしている感じであった。だから通夜そのものに涙は無かった。遺族側も寝耳に水の訃報から始まり、検死や遺体運搬から葬儀の準備まで、非常に慌ただしかったようだ。未だ悲しむ余裕無しという印象であった。


通夜は読経→焼香→説法→喪主挨拶と、だいたい一時間程度で終わる。最近は通夜の読経と四十九日法要の読経も同時に済ませることが多く、そうなると一時間半くらいだろうか。最後に棺の小窓を開け、希望者は故人と最後の別れをする。


もう葬儀の場数を踏み過ぎて、焼香や葬儀のマナーで動じることも無くなった。生前と変わり果てた遺体を見ても、怖いとか不気味だという感情も消えた。ただただ故人の死を悼み、自然と合掌している自分にJW時代の面影はもう無い。喪服姿に数珠持って通夜帰りに実家へ寄っても、母がそれについて何か言うことも無い。色々なものが普通に戻りつつある・・・


昼休みに先輩の自宅を弔問し、そのついでに先輩の生き甲斐だった畑にも訪れてみた。几帳面な先輩らしく、雑草一本無い綺麗な畑。これから収穫を控えた大根や食用菊が植えられ、来年用のネギ苗も整然と植えられていた。たしか奥さんは畑をやらない人だったから、この畑も徐々に荒れていくのだと思うと、ちょっと切なく悲しくなった・・・。



儚いものだ…

今の仕事に新採用された最初の職場で、親方として今の仕事を一から教えてくれた大先輩が急逝した。職人堅気で仕事に厳しく、何度も怒鳴られながら仕事を教えてくれたし、時には息子のように可愛がってくれた先輩だった。

その彼が草津温泉で入浴中に倒れ、そのまま亡くなったと連絡を受けたのが昨日の話し。73歳だったからまだまだ若いし、元気だと言う噂も聞いていたので、そのうち会うこともあるだろうと思っていた。しかし、13年前の退職時に挨拶したのが最期になってしまった。人が散るときは本当に呆気なく儚いものだ…

まだビンピンしてるし、いずれ会えるだろう。そう考え、会えないまま死に別れてしまった人の何と多いことか。そして訃報を聞いて後悔し、通夜や葬儀で冷たくなった相手に詫びてくる。いつもその繰り返し。相も変わらず失敗から学ばない自分に腹が立つ。

今日、仕事を終えたら通夜に行ってくる。そして亡骸を前に「今まで疎遠にしててごめんなさい」と謝ってくることだろう。誰かと会うとき別れるとき、「これが最期になるかもしれない」と考えながら、一期一会の気持ちは大切にしなければいけないと思う。後悔しないためにも…

2016年10月19日水曜日

米沢へ

先週土曜日、久しぶりに晴れた休日に嬉しくなって長距離ツーリングへ。気持ちの良いバイク日和に気付けば新潟を越え、福島を越え、山形県の米沢市まで行ってしまった。途中の山越えで、あまりの寒さに道の駅で芋煮を食べて暖を取る…


せっかく米沢まで来たのだからと、もう何度目か分からない上杉神社へ。すると、境内の公園でまさかのスタンド奉仕に遭遇。首都圏以外で初めて見たけど、残念ながら美人の姉妹ではなかったのでスルー。他にも歩きながら証言している二人組か各所に。

左にも…


右にも…


上杉鷹山も「向こうでやってくれんかなぁ」と言いたげ(笑)


適当に参拝し、屋台の米沢牛コロッケを食べ、それから御廟(上杉家歴代藩主の墓)へ。受付の爺ちゃんに「お兄さんどちらから?」と聞かれ、「新潟の長岡から」と答えたら宇宙語で色々話してくれた。…と言うか、訛りが酷くて全然聞き取れなかった(笑)


とりあえず、上杉謙信公の墓前に焼香し、「越後から来たよー」と挨拶してから喜多方へ。適当な店に入り、名物の喜多方ラーメンを食べて帰ってきた。とても充実した休日であった。

2016年10月14日金曜日

冬前のお仕事

ここ最近は毎週のように出張。来週も二度の県庁出張。
冬前の仕事で超絶多忙なのに、ちょっとは配慮して欲しいものだ。
同僚が高齢で未経験者だから、彼には安全な雑用を任せて私はひたすら高所作業。
天気の悪かった火曜日を除き、今週は一日の大半を木の上で過ごしている気が(笑)
出張も考慮して仕事を例年より早めに進めているけど、体の疲れは日々蓄積していく・・・


起床してから出勤するまでの時間、仲の良いピグライフの水友さんたちと朝の挨拶と雑談、そして畑のお手入れが細やかな癒し。お互いに「今週もあと一日!がんばろう!」とか「いってらっしゃい!」と励まし合い、各々が職場へと出勤していく不思議な朝の光景。


平和でほのぼのピグライフ。金曜日の朝はみんな元気で実によろしい(笑)

2016年10月10日月曜日

県知事選

毎度のことながら期日前投票へ。
受付で投票券を渡し、宣誓証書にササッと記入して投票。手慣れたもんだ。


今回の立候補者は4人。しかし、2人はほぼ知名度無し。
実質、元長岡市長の森民夫氏(67)と、医師の米山隆一氏(49)の一騎打ち。
私は若さと政策を理由に米山さんへ投票。共産、社民、生活の党推薦ってのが気に入らないけど、森氏が好きになれないから仕方ない。ただ単に県知事選と言うだけでなく、県職員のトップでもある訳だから社長選びみたいなものだ。


しかし、せっかくの三連休も悪天候で終わってしまった。例年であれば、奥志賀林道を通って草津温泉までツーリングに行くか、のんびりハゼ釣り三昧で終わるのだけれど、今年の連休は・・・ちょっと残念。


今週から、冬に向けての作業が本格的に始まる。まずは施設内の樹木の枝降ろし。三階建ての高さの樹木に登って、雪で折れないように枝を間引きする作業。今年は仕事の相方が73歳の御老体だから、木に登る高所作業は全て私一人でやらねばならない。


それが終われば樹木を縄で縛り、竹で囲う雪囲いが始まる。これも相方が雪囲い未経験者のため、基本的にほとんどの作業を私がすることになるだろう。考えるだけでも憂鬱だけど、やらねばならぬ仕事なのだから腹を括るしかない。とにかく頑張ろう・・・。



2016年10月7日金曜日

工場の祭典

今日は仕事を休んで工場の祭典に行ってきた。
金物の街、燕・三条地域の工場を解放し、洋食器や刃物造りの製造工程を見せたり、製作体験を行ったりして金物の街をPRしている。4日間の開催で、今日は約80社が工場を公開していた。




まず最初に行ったのが鎚器銅器で有名な玉川堂さん。一枚の銅板から、ヤカンや茶筒などを叩き出しで作り出す歴史の古い工場だ。工場そのものも県の有形文化財に指定されている。



工場で働く職人さんの平均年齢は30代。しかも5人の若い女性が職人として働き、求人にも多くの女性が応募してくるという。女性の職人さんを取り上げたテレビの影響なのかな。


これは熟練の職人さんがヤカンを製造しているところ。注ぎ口も叩き出しで作る。


女性の職人さんは、ぐい吞みの仕上げ作業をしていた。


私も別の施設で鎚器銅器体験。銅の御猪口を叩いて好きな模様をつける。

完成するとこんな感じ。これで美味い酒が飲める(笑)



次に日野浦製作所で鍛造作業を見学。県央マイスターに選ばれた若い職人さんが、手際よく鋼を叩いて鉈を形作っていく。高校時代の鍛造実習を思い出して懐かしかった。


最後に行ったのが、奈良の中川政七商店コラボの大日本市博覧会。
県内の色々な工場とコラボし、個性あるレトロなデザインの商品が多数販売されていた。


初めて工場の祭典に行ってみたけど、平日なのにどの工場も多くの人で溢れ、若者や外人さんも数多く来て熱心に工場見学していた。なかには明らかに就職希望の若者が、工場の方にどうすれば就職できるか熱心に質問していて驚いた。かつて3Kの代名詞と呼ばれた製造業も、アピール方法が変わるとこうも違うのね。いずれにしても、日本の技術が受け継がれるのは良いことだ。