2016年10月26日水曜日

人間ドックの結果

…が届いた。

結果から言うと、心配していたピロリ菌検査は陰性、前立腺癌の腫瘍マーカーも正常で安堵したけど、胃カメラ検査にて胃粘膜内腫瘍が見つかって経過観察の診断。ほとんど良性だから心配ないそうだけど、念のため一年後に再び胃カメラ飲んでねと。もう二度と胃カメラなんてやりたくないと思ったけど、そういう訳にもいかないようだ…

あとは肝臓の数値が相変わらずよろしくない。そろそろ本気で食生活を改め、体を労って生きねばいけないって思った。もう若い頃と同じ気分で飲食するのをやめ、栄養バランスを考えた食事をしないと。もともと短かった睡眠時間も改善せねば・・・

しかし、腫瘍なんて病名がつくとビックリする。胃カメラで経過観察となった胃粘膜内腫瘍の場合、ほとんどは良性の腫瘍らしい。しかし、稀に悪性の場合もあるので不安と言えば不安。内科の先生は「胃のおできだから気にすることないよ」と笑っていたけど。どちらにしても、厄年ってことで色々と体を検査してみて良かったと思っている。

2016年10月24日月曜日

あれから12年。ついでに+1年。そして鬼。

中越地震から12年。あっという間の12年。
当時は29歳、実家を出て1年目の出来事だった。


地震時はスーパーにいて、天井から色々なものが落ちてくるし、非常ベルが鳴って停電になるし、あちこちから聞こえる悲鳴に「建物から出ないと死ぬ」と、とにかく必死で非常口に走った。そして築年数の古い実家のことを思い出し、急いで実家まで車を走らせた。自分の目で確認するまで、「家が潰れていたらどうしよう」という不安で押し潰されそうだった。


幸いなことに実家は無事だった。しかし、食器棚や本棚は倒れ、実家の猫は恐怖で腰を抜かして動けずにいたっけ。余震のたびにゴゴゴゴゴと聞こえる地鳴り、周囲の家々が軋む音、どこからか聞こえる悲鳴・・・あの記憶だけは消えることがないだろう。街全体が停電し、とても綺麗な星空だったことは鮮明に覚えている。


そして12年に+1年すると、自分が脱JWした年数になる。ここから逃げたい、ここから出ないと壊れてしまうと必死だった5年間。頑張って貯金し、少しずつ家電を買い揃え、転勤を理由に強引に引っ越して自然消滅を謀った13年前。


引っ越し後も、1年ほどは地元会衆の長老による訪問や電話が続き、旧会衆の知人たちから手紙やメールも頻繁に届いた。それを徹底無視してやっと周囲が静かになった時、やっと私はあの世界から自由になれた。今でも当時の決断を後悔していない。


ただ、あの世界で築いた多くの友人・知人を失ったことは寂しく思うし、可愛い姉妹たちも多かったから勿体無かったなと思うことも・・・あった。もう今となっては全て過去の話し。


必死に駆け抜けた13年。
気付けば今年で41歳。あっという間だったなぁ。




今年は誰に聞いても大雪予想。
「〇〇の年は大雪」的な言い伝えが今年は全て当て嵌まる。それだけに、今年の雪囲いは厳重にするつもりだが、同僚が高齢で未経験者なのは本当にキツイ。彼が体力・技術的にできないことが全て私の負担となる。それを全く申し訳なく思っていない、仕事も覚えない。それでいて偏った公務員批判と民間賛美、過去の役職自慢だけは饒舌。そんな偏屈老人を相手に、キレることなく穏やかに接し続けている自分。こういう時だけ、JW時代に培った忍耐強さに心から感謝している。


・・・でもね。


過去に4人の非常勤嘱託員と働いたけど、職員調書で「技術職として年齢・体力・経験共に不適格。来年度も同僚として共に働くことは難しい」と報告させたのは彼が初めて。仏のくまさん(?)と言われた私でも、こんな辛辣な評価するんだなと苦笑い。今週予定されてる上司との人事ヒアリングでも、言いたいことは遠慮なく言わせてもらう。昔の自分には考えられない変化だ。

2016年10月20日木曜日

通夜へ

会場のセレモニーホールは実家の近所だった。通夜の開始時刻が18時からだったため、職場で喪服に着替えて会場に直行。喪服姿の私に、職場の生徒もビックリしていた(笑)


通夜そのものは淡々としていた。死の直前まで元気に酒を飲み、急性心筋梗塞で呆気なくこの世を去ってしまったから、誰もが突然の死に驚き、なんとか現実を受け止めようとしている感じであった。だから通夜そのものに涙は無かった。遺族側も寝耳に水の訃報から始まり、検死や遺体運搬から葬儀の準備まで、非常に慌ただしかったようだ。未だ悲しむ余裕無しという印象であった。


通夜は読経→焼香→説法→喪主挨拶と、だいたい一時間程度で終わる。最近は通夜の読経と四十九日法要の読経も同時に済ませることが多く、そうなると一時間半くらいだろうか。最後に棺の小窓を開け、希望者は故人と最後の別れをする。


もう葬儀の場数を踏み過ぎて、焼香や葬儀のマナーで動じることも無くなった。生前と変わり果てた遺体を見ても、怖いとか不気味だという感情も消えた。ただただ故人の死を悼み、自然と合掌している自分にJW時代の面影はもう無い。喪服姿に数珠持って通夜帰りに実家へ寄っても、母がそれについて何か言うことも無い。色々なものが普通に戻りつつある・・・


昼休みに先輩の自宅を弔問し、そのついでに先輩の生き甲斐だった畑にも訪れてみた。几帳面な先輩らしく、雑草一本無い綺麗な畑。これから収穫を控えた大根や食用菊が植えられ、来年用のネギ苗も整然と植えられていた。たしか奥さんは畑をやらない人だったから、この畑も徐々に荒れていくのだと思うと、ちょっと切なく悲しくなった・・・。



儚いものだ…

今の仕事に新採用された最初の職場で、親方として今の仕事を一から教えてくれた大先輩が急逝した。職人堅気で仕事に厳しく、何度も怒鳴られながら仕事を教えてくれたし、時には息子のように可愛がってくれた先輩だった。

その彼が草津温泉で入浴中に倒れ、そのまま亡くなったと連絡を受けたのが昨日の話し。73歳だったからまだまだ若いし、元気だと言う噂も聞いていたので、そのうち会うこともあるだろうと思っていた。しかし、13年前の退職時に挨拶したのが最期になってしまった。人が散るときは本当に呆気なく儚いものだ…

まだビンピンしてるし、いずれ会えるだろう。そう考え、会えないまま死に別れてしまった人の何と多いことか。そして訃報を聞いて後悔し、通夜や葬儀で冷たくなった相手に詫びてくる。いつもその繰り返し。相も変わらず失敗から学ばない自分に腹が立つ。

今日、仕事を終えたら通夜に行ってくる。そして亡骸を前に「今まで疎遠にしててごめんなさい」と謝ってくることだろう。誰かと会うとき別れるとき、「これが最期になるかもしれない」と考えながら、一期一会の気持ちは大切にしなければいけないと思う。後悔しないためにも…

2016年10月19日水曜日

米沢へ

先週土曜日、久しぶりに晴れた休日に嬉しくなって長距離ツーリングへ。気持ちの良いバイク日和に気付けば新潟を越え、福島を越え、山形県の米沢市まで行ってしまった。途中の山越えで、あまりの寒さに道の駅で芋煮を食べて暖を取る…


せっかく米沢まで来たのだからと、もう何度目か分からない上杉神社へ。すると、境内の公園でまさかのスタンド奉仕に遭遇。首都圏以外で初めて見たけど、残念ながら美人の姉妹ではなかったのでスルー。他にも歩きながら証言している二人組か各所に。

左にも…


右にも…


上杉鷹山も「向こうでやってくれんかなぁ」と言いたげ(笑)


適当に参拝し、屋台の米沢牛コロッケを食べ、それから御廟(上杉家歴代藩主の墓)へ。受付の爺ちゃんに「お兄さんどちらから?」と聞かれ、「新潟の長岡から」と答えたら宇宙語で色々話してくれた。…と言うか、訛りが酷くて全然聞き取れなかった(笑)


とりあえず、上杉謙信公の墓前に焼香し、「越後から来たよー」と挨拶してから喜多方へ。適当な店に入り、名物の喜多方ラーメンを食べて帰ってきた。とても充実した休日であった。

2016年10月14日金曜日

冬前のお仕事

ここ最近は毎週のように出張。来週も二度の県庁出張。
冬前の仕事で超絶多忙なのに、ちょっとは配慮して欲しいものだ。
同僚が高齢で未経験者だから、彼には安全な雑用を任せて私はひたすら高所作業。
天気の悪かった火曜日を除き、今週は一日の大半を木の上で過ごしている気が(笑)
出張も考慮して仕事を例年より早めに進めているけど、体の疲れは日々蓄積していく・・・


起床してから出勤するまでの時間、仲の良いピグライフの水友さんたちと朝の挨拶と雑談、そして畑のお手入れが細やかな癒し。お互いに「今週もあと一日!がんばろう!」とか「いってらっしゃい!」と励まし合い、各々が職場へと出勤していく不思議な朝の光景。


平和でほのぼのピグライフ。金曜日の朝はみんな元気で実によろしい(笑)

2016年10月10日月曜日

県知事選

毎度のことながら期日前投票へ。
受付で投票券を渡し、宣誓証書にササッと記入して投票。手慣れたもんだ。


今回の立候補者は4人。しかし、2人はほぼ知名度無し。
実質、元長岡市長の森民夫氏(67)と、医師の米山隆一氏(49)の一騎打ち。
私は若さと政策を理由に米山さんへ投票。共産、社民、生活の党推薦ってのが気に入らないけど、森氏が好きになれないから仕方ない。ただ単に県知事選と言うだけでなく、県職員のトップでもある訳だから社長選びみたいなものだ。


しかし、せっかくの三連休も悪天候で終わってしまった。例年であれば、奥志賀林道を通って草津温泉までツーリングに行くか、のんびりハゼ釣り三昧で終わるのだけれど、今年の連休は・・・ちょっと残念。


今週から、冬に向けての作業が本格的に始まる。まずは施設内の樹木の枝降ろし。三階建ての高さの樹木に登って、雪で折れないように枝を間引きする作業。今年は仕事の相方が73歳の御老体だから、木に登る高所作業は全て私一人でやらねばならない。


それが終われば樹木を縄で縛り、竹で囲う雪囲いが始まる。これも相方が雪囲い未経験者のため、基本的にほとんどの作業を私がすることになるだろう。考えるだけでも憂鬱だけど、やらねばならぬ仕事なのだから腹を括るしかない。とにかく頑張ろう・・・。



2016年10月7日金曜日

工場の祭典

今日は仕事を休んで工場の祭典に行ってきた。
金物の街、燕・三条地域の工場を解放し、洋食器や刃物造りの製造工程を見せたり、製作体験を行ったりして金物の街をPRしている。4日間の開催で、今日は約80社が工場を公開していた。




まず最初に行ったのが鎚器銅器で有名な玉川堂さん。一枚の銅板から、ヤカンや茶筒などを叩き出しで作り出す歴史の古い工場だ。工場そのものも県の有形文化財に指定されている。



工場で働く職人さんの平均年齢は30代。しかも5人の若い女性が職人として働き、求人にも多くの女性が応募してくるという。女性の職人さんを取り上げたテレビの影響なのかな。


これは熟練の職人さんがヤカンを製造しているところ。注ぎ口も叩き出しで作る。


女性の職人さんは、ぐい吞みの仕上げ作業をしていた。


私も別の施設で鎚器銅器体験。銅の御猪口を叩いて好きな模様をつける。

完成するとこんな感じ。これで美味い酒が飲める(笑)



次に日野浦製作所で鍛造作業を見学。県央マイスターに選ばれた若い職人さんが、手際よく鋼を叩いて鉈を形作っていく。高校時代の鍛造実習を思い出して懐かしかった。


最後に行ったのが、奈良の中川政七商店コラボの大日本市博覧会。
県内の色々な工場とコラボし、個性あるレトロなデザインの商品が多数販売されていた。


初めて工場の祭典に行ってみたけど、平日なのにどの工場も多くの人で溢れ、若者や外人さんも数多く来て熱心に工場見学していた。なかには明らかに就職希望の若者が、工場の方にどうすれば就職できるか熱心に質問していて驚いた。かつて3Kの代名詞と呼ばれた製造業も、アピール方法が変わるとこうも違うのね。いずれにしても、日本の技術が受け継がれるのは良いことだ。



人間ドック

人生初の胃カメラ。経験者から話を聞くと、呑みなれた人は「大したこと無い」と笑うし、そうでない人は「地獄の苦しみ。二度とやりたくない」と言う。特に若い人ほど嗚咽反応が強くて苦しいらしい。

そんな感じで受けた胃カメラ検診。待ち合い室で待つ間は本当に憂鬱であった。診察室に呼ばれて喉に麻酔をかけられている間にも、診察室から苦しみの声が聞こえてくる。なにより医療スタッフの格好が魚市場?みたいなビニールの前掛けで、4チームのスタッフが次々と受診者を捌いていく。その雰囲気に圧倒されてしまった…。

胃カメラを楽に受けるには、口に入れられた麻酔を可能な限り喉の奥に溜めることだという。しかし、苦味のあるゼリー状の麻酔を三分間喉奥に溜めるのは難しい。私も喉の奥に溜めようとして上を向き…ゴクンと飲み込んでしまった。いや~、焦ったね(笑)

幸い麻酔は二回行う。二度目は五分と長く、今度は飲み込まぬよう必死に耐えた。しかし、麻酔が聞いてくると舌が麻痺し、唾すら飲み込めなくなる。それだけ効かないと困るんだけどね。

いざ診察台に乗せられ、マウスピースをバンドで固定されるとまな板の鯉。唾は絶対に飲み込まず垂れ流せといわれ、もうどうにでもなれ状態。

胃カメラは、挿入して声帯を通過するまでが最も苦しく、私もそこで四~五回嗚咽した。しかし、看護師さんが優しく背中をさすってくれ励ましてくれる。カメラが胃に入ってしまえば、あとは苦しむことなくモニターを見る余裕すらあった。それでも涙と涎で悲惨な姿だったけどね…。

最近は受診者の負担を減らすため、鎮静剤を点滴して寝ている間に、胃カメラ検査を終えてしまう病院も増えているらしい。鼻から挿入する胃カメラもあるが、初回の場合は断られることもある。私の場合も初回と言うことで断られてしまった。初回で異常があったときに、生体検査をできないから仕方ないのかもしれないが。

結果として、綺麗な胃や食道だと言われて問題なし。血液検査も尿検査も問題なかった。ただ、数年前から指摘されていた腎臓の結石は、相変わらず腎臓の中にあって経過観察となった。ピロリ菌の抗体検査と、ガンの腫瘍マーカーの結果は後日郵送なので、まだ安心できないけどね。

2016年10月5日水曜日

憂鬱

明日は人間ドックのため仕事はお休み。
しかし気分は憂鬱…と言うか、一週間前から憂鬱だった。

今回の人間ドックは、安価で受診できる指定年齢と言う理由で受けたのもあるが、41歳の厄年なのもあって、自分の体を徹底的に調べてみようと考えたからだ。そのため、オプション診療のピロリ菌検査や前立腺がんの検査、胃カメラなど色々と追加した。特に胃カメラは、数ヶ月前から喉に違和感を感じていたため、どうしても受けておきたかった検査だ。

人間ドックそのものは人生2回目。だから特に不安も無いし嫌でも無い。しかし、胃カメラは人生初。嗚咽反応が人より強めの自分にとって地獄の予感。だから今まで避けてきたし、検査を明日に控えて気分は超絶ブルー。

そもそも口から呑む胃カメラが嫌で、鼻から胃カメラ検査ができる今回の病院を選んだのに、病院から電話が来て「初回の方は口挿入の胃カメラで」「異常があった場合、鼻からのカメラでは生体検査できない」など、親切丁寧に説得されて渋々受け入れた。

胃カメラ検査のため、既に水も食事も口に出来ず、今夜はとっとと寝る予定。これから新潟を直撃する台風なんて気にもならない。心配なのは明日の胃カメラ(笑)

2016年10月1日土曜日

東京へ

友人の誕生祝いで上京し、気心知れた友人たちと楽しく飲んできた。
元JWだけどJWの話題がほとんど出ない、ごくごく普通の飲み会。
元JW仲間から普通の飲み友達へ…とても理想的で良い流れだと思う。
いつまでも過去に囚われていたら前へ進めないからね。素敵な友たちに感謝。




店から頂いた誕生ケーキは、なぜか名前が呼び捨てだった(笑)


翌日は靖国神社へ。想像以上に広く、有意義で考えさせられる場所だった。


併設された遊就館は、全て回るのに2時間以上を要した。
館内には、戦死した兵士の遺書や遺品が多数あり、親・妻・子宛の遺書を読んで
自然と涙が出て来た。この施設を「戦争賛美の施設」だと批判する人がいるけど、
本当に館内の展示を見たのか?と小一時間問いただしたい・・・。

大好きな商店街、戸越銀座商店街にも行ってきた。歩くだけで楽しい。


戸越銀座の中華料理屋さんで立ち食いした焼き小籠包。
皮を破るとスープがジュワッ!とても美味!


夜はシロガネーゼの庶民派セレブ美女と合流し、ハンガリー料理の店へ。
ハンガリー料理は全体的にサッパリ味で、パプリカを多用するのだとか。
優しい味過ぎて、とても美味しかったけど印象は薄い。
とても話し好きで、そしてアメリカ大好きのママさんが出迎えてくれる(笑)


ハンガリー料理の一部。
サクランボの冷製スープとパプリカの何とかスープ。どちらもサッパリ味。


白金台にあるこの店も良かった。店名は忘れたけど。
私が海外で好んで入る店とテラスの雰囲気が似ていてグッド!


外のテラスで食べた有機野菜のバーニャカウダー、鶏のレバーペースト。
どちらも美味しくて値段もリーズナブル。店の雰囲気も素晴らしく感激。


翌日、新宿で食べたパスタ。ここも店内の内装が凝っていて素敵な店だった。
パスタの上の生ハムは、ストップ!と言うまで店員が乗せてくれる。
ずっと黙っていようと思ったけど、私みたいに欲張ると塩辛くて味のバランスも崩れるよ・・・


六本木の森ビルへ。


森ビルの美術館でやっていた宇宙と芸術展へ。
宗教的観点から見た宇宙から始まり、芸術としての宇宙を現代アートや映像
で表現していて、なかなか楽しめる芸術展であった。