2016年10月24日月曜日

あれから12年。ついでに+1年。そして鬼。

中越地震から12年。あっという間の12年。
当時は29歳、実家を出て1年目の出来事だった。


地震時はスーパーにいて、天井から色々なものが落ちてくるし、非常ベルが鳴って停電になるし、あちこちから聞こえる悲鳴に「建物から出ないと死ぬ」と、とにかく必死で非常口に走った。そして築年数の古い実家のことを思い出し、急いで実家まで車を走らせた。自分の目で確認するまで、「家が潰れていたらどうしよう」という不安で押し潰されそうだった。


幸いなことに実家は無事だった。しかし、食器棚や本棚は倒れ、実家の猫は恐怖で腰を抜かして動けずにいたっけ。余震のたびにゴゴゴゴゴと聞こえる地鳴り、周囲の家々が軋む音、どこからか聞こえる悲鳴・・・あの記憶だけは消えることがないだろう。街全体が停電し、とても綺麗な星空だったことは鮮明に覚えている。


そして12年に+1年すると、自分が脱JWした年数になる。ここから逃げたい、ここから出ないと壊れてしまうと必死だった5年間。頑張って貯金し、少しずつ家電を買い揃え、転勤を理由に強引に引っ越して自然消滅を謀った13年前。


引っ越し後も、1年ほどは地元会衆の長老による訪問や電話が続き、旧会衆の知人たちから手紙やメールも頻繁に届いた。それを徹底無視してやっと周囲が静かになった時、やっと私はあの世界から自由になれた。今でも当時の決断を後悔していない。


ただ、あの世界で築いた多くの友人・知人を失ったことは寂しく思うし、可愛い姉妹たちも多かったから勿体無かったなと思うことも・・・あった。もう今となっては全て過去の話し。


必死に駆け抜けた13年。
気付けば今年で41歳。あっという間だったなぁ。




今年は誰に聞いても大雪予想。
「〇〇の年は大雪」的な言い伝えが今年は全て当て嵌まる。それだけに、今年の雪囲いは厳重にするつもりだが、同僚が高齢で未経験者なのは本当にキツイ。彼が体力・技術的にできないことが全て私の負担となる。それを全く申し訳なく思っていない、仕事も覚えない。それでいて偏った公務員批判と民間賛美、過去の役職自慢だけは饒舌。そんな偏屈老人を相手に、キレることなく穏やかに接し続けている自分。こういう時だけ、JW時代に培った忍耐強さに心から感謝している。


・・・でもね。


過去に4人の非常勤嘱託員と働いたけど、職員調書で「技術職として年齢・体力・経験共に不適格。来年度も同僚として共に働くことは難しい」と報告させたのは彼が初めて。仏のくまさん(?)と言われた私でも、こんな辛辣な評価するんだなと苦笑い。今週予定されてる上司との人事ヒアリングでも、言いたいことは遠慮なく言わせてもらう。昔の自分には考えられない変化だ。