2017年2月9日木曜日

実家でも・・・

きのう久しぶりに実家へ戻ると、母が体調を崩して寝込んでいた。
熱も38度あると言うのでインフルだろうと考え、「今は良い特効薬があるから医者行って検査受けて来なよ」と勧めておいた。そして今日、「医者に行ったらインフルでした。言われた通りの薬を処方して貰ったよ。ありがとう」と感謝のメールが来た。


熱が下がると、すぐに集会や奉仕へ行こうとする母なので、「イナビルは良く効く薬だけど、平熱に戻った日の翌日から2日間は、感染力残っているから自宅謹慎ね」と釘を刺しておいた。しかし何度も言っているけど、JWのことで大喧嘩し、互いに距離を置いていた14年前と比べたら、ほんとよくここまで関係修復できたものだと思う。他人にとっては当たり前のことが自分にとっては大きな進歩だ。


過激なアンチJWの人々がするように、親への激しい感情や憎しみからは壁しか生まない。そして、生じてしまった壁を突き崩すのは容易な事じゃない。力で壊そうとすれば補強され、より頑強な壁となって立ち塞がってしまうからだ。そんな時は、時間をかけてカリカリ削って穴を開けるか、こちらから根気強く対話を試みるしかない。「急がば回れ」の精神で、焦る時ほど遠回りして着実に行くしかないね。よほどの毒親でない限り、見捨てるという選択肢は最後まで選びたくないものだ。


ところで、体調を崩した母を見ていて思い出したことがある。まだ私が現役JWブロガーだった20年近く前、インフルエンザの流行時期になると無理して集会に出て来る人たちに、「体調悪いなら無理せず休んでくれ!集会へ病気を拡散しに来て何が愛だ!『具合が悪いのに集会を支持されて励まされます~』じゃねえよ!」と、当時のブログで吠えまくっていたっけ。あの当時は本当に良く風邪をうつされたんだよね・・・


母がインフルに感染したことから察して、そうした環境は今も変わっていないのだろう。風邪を引いても少し体調が回復しただけで集会へ行こうとする母に、父が「今日くらい集会休めよ」とよく愚痴っているのを耳にする。どんどん会衆の人々が高齢化していくなかで、小さな風邪でも他者の命を危険に曝す可能性だって十分にある。その重要性を、会衆の人々も長老たちも重く考えるべきなんだよね。


相変わらず進歩の無い、むしろ劣化しつつあるあの世界のことを考えるたび、そこへ老いた母を残してきたことが正しい選択だったのかと悩むことがある。まぁ、どれだけ私が悩んだところで、本人に出る意思が無ければ無駄な徒労なのだけれど(笑)